ようするに人類にとってシャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情だった、
自分たちよりも不当に得をしてる人を許さない、引きずり下ろす、という行動に喜びを報酬として与えて、
促進することが共同体の維持には必要だった、ということです。
共同体の中で一人だけ目立って得をしてる人がいた場合、その人がその社会のリソースを集めて、
タダ乗りしている可能性が否定できません。
そうすると、得になるのはリソースを供出しないタダ乗り戦略なので、みんなが得をしようとして、
しかるべきリソースを出さなくなってしまう恐れがあります。
これを放置すれば、ヘタをすると共同体はあっという間に崩壊します。
それを避けるために、不当に得をしている人、あるいはそう見える人を みんなで寄ってたかって叩く。
そのやり方を変えさせよう、共同体から消し去ろう、排除しようと激しい攻撃を加えます。
誰かを引きずり下ろしても、自分の立ち位置は変わりませんが、共同体における相対的な地位は変わります。
ただ、自分の持っている属性や能力はまったく変化しないので、目立ってる人を叩くという行為は、
個人の利益のために行うのではありません。
では、なぜやるのかというと、社会を守ることが自分にとって間接的な利益となるからです。
だから、喜びを感じるように仕組まれているのです。
嫌な感情ですが、必要だから私たちに備わっているのです。
例えば集団が2つあって、片方にはシャーデンフロイデのない人がほとんどだとしましょう。
そこでは排除は起こりません。
もう一方は、シャーデンフロイデのある人がほとんどで、周期的に排除が起こります。
どちらの集団の方が存続する確率が高いというと、これはシャーデンフロイデのある集団なのです。
シャーデンフロイデのない集団は、自然発生するか、よそからやって来るかに関わらず、
タダ乗りする人に搾取され尽くして、いずれ崩壊してしまいます。
シャーデンフロイデがあった方が、社会としては強靭であるということになるわけです。
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