ドラマ"北の国から"の生みの親、倉本聰さんが死去


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001 2026/09/28(月) 10:44:44 ID:QVZXplMres
 名作テレビドラマ「北の国から」の原作者で脚本家の倉本聰さんが、18日に亡くなっていたことがわかりました。91歳でした。

すでに通夜・葬儀などは近しい関係者のみで執り行われたということです。

倉本聰さん(2025年)(UHB 北海道文化放送) 倉本さんは北海道富良野を舞台にしたフジテレビ系のドラマ「北の国から」を手掛け、
五郎、純、蛍の家族3人が北の大地で紡ぐ物語が視聴者の感動を呼び、観光地・富良野ブームの火付け役ともなりました。

また、自らも富良野に移住し、俳優や脚本家の養成機関「富良野塾」を設立。
さらに全国初の公設民営劇場「富良野演劇工場」もプロデュースするなど、北海道の演劇、芸術活動の振興に尽力してきました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/303ee1667dde609215ed5...

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002 2026/09/28(月) 11:27:20 ID:D70Fc8IO1E
父祖地は岡山県[7]。分家した祖父の代で東京に進出し、家は代々医学雑誌の出版や新薬の販売を手がけてきた。異色の父・山谷太郎は自ら興した自然科学系の出版社を営む傍ら、水原秋桜子門下の俳人でもあった[7][8]。母は太郎の後妻で[7]、両親はともにクリスチャンだった[9]。

戦時中は山形県上山市や岡山県浅口郡金光町 (現:浅口市 )に疎開[10][11]。このうち、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本は大きなカルチャーショックを受けた。東京に帰りたいと考えた倉本は仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成功した[12]。この体験は、『北の国から』の最初の連続シリーズにおいて、純が東京に帰りたがって起こす行動のヒントにしたと記している[13]。 また、金光へは1945年4月から1年間、一家6人で疎開していた[14]。

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003 2026/09/28(月) 12:13:10 ID:igAHXA7vNc
「北の国から」の放映翌年の二十歳の夏に利尻、礼文、大雪とキャンプで巡った最後に富良野に今で言う聖地巡礼したなあ。
麓郷から富良野への下りの坂道をおっきなザック背負って歩いてたら坂道を登って来たバスが目の前で止まって
「すぐに折り返してくるからここで待ってろ」って言われてバスに乗った懐かしい思い出。

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004 2026/09/28(月) 12:15:37 ID:ds.dF0i8jU
北の国からも渡る世間も一度も見たことないので、
なにも感じない。

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005 2026/09/28(月) 12:54:48 ID:LlBmTLf9Es
91才だったのか、長生きした方ですね
ご冥福をお祈りします

※3行目のは『倉本聰さん(2025年)(UHB 北海道文化放送)』はなんだろうね
倉本聰さん(2025年)は本文の横の写真の説明だろうけど、その次の()付きの部分はない

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006 2026/09/28(月) 16:40:10 ID:exeYjIxmE2
とにかく役柄のみんなみんながありとあらゆる残念な出来事で全員毎回不幸な目に遭うドラマなんだけど
なんか見入ってしまったなぁ…なにせドラマの第一回のオープニングからして母親が浮気相手と同衾してる所をドアの隙間から覗く蛍から始まる斬新なドラマだった

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007 2026/09/28(月) 17:26:04 ID:WafMPK9KGI
若いころ『くノ一忍法』の脚本書いてたんだなあ 『ライスカレー』が好きだった。

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