
桐島 聡(きりしま さとし、1954年〈昭和29年〉1月9日[1] - 2024年〈令和6年〉1月29日)は、1970年代の日本の新左翼過激派集団である東アジア反日武装戦線のメンバー[2]。
連続企業爆破事件への関与
1975年4月18日、東京都の銀座に所在する韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を仕掛け翌日に爆発させた[6][7]。これによってビルの一部が損壊した[8]。警視庁は本事件を中央区内連続企業爆破事件とも呼んでいる[1]。爆弾は同グループが地下出版した腹腹時計に掲載したもので、同グループで薬剤師資格を持つ大道寺あや子が勤務先から横領した薬品などを使って製造したものが使われた[9]。指名手配された直接の容疑は、このオリエンタルメタル社・韓産研爆破事件における爆発物取締罰則違反であるが、それ以外にも、共犯である黒川らの刑事裁判で、
・鹿島建設爆破事件(1974年12月23日。死傷者なし)[10]
・間組本社ビル(9階・6階)及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日。桐島が共謀した本社ビル9階爆破で1人が加療4か月を要する重傷。桐島が担当した6階爆破では死傷者なし)[10]
・間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日。1人が加療約1年3か月を要する重傷)[10]
・間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日。死傷者なし)[10]
に、桐島が共謀・実行で関与したことが認定されている[10]。ほとんどの事件で桐島と行動を共にした黒川には無期懲役[11]、宇賀神には懲役18年[12]が確定している。
1975年に同派による連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配された[1]。事件後は偽名を使い逃亡生活を送っていたが、指名手配から約49年後の2024年1月25日、入院中に自身の姓名を名乗り、その4日後に死亡した[3]。
経歴
広島県深安郡神辺町(現在の福山市)出身[4]。広島県立尾道北高等学校卒業[5]。明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、20歳から21歳の間に連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与した[2]。
桐島聡と見られる男のDNA型鑑定の結果、桐島の親族と「親族関係矛盾なし」という結果が出た[31]。70歳没。2月7日、男の遺体は藤沢警察署から鎌倉市に引き渡され、逗子市内の火葬場で火葬された。親族は遺体の引き取りを拒否したといい、今後、引き取り手がない場合は無縁仏として合葬することになる[32]。
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