高市首相、靖国参拝見送り
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高市早苗首相は終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社への参拝を見送る方向だ。
韓国との良好な関係や、11月に中国で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議など秋以降の外交日程を考慮した。複数の関係者が12日、明らかにした。
木原稔官房長官は7日の記者会見で、終戦記念日に合わせた参拝について「首相が自身で適切に判断されることだ」と述べるにとどめた。首相周辺は「首相が靖国神社に行くことはないと思う。韓国との関係が面倒なことになる」と指摘した。
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/dfc7452ef2cfbd10194a2...

韓国との良好な関係や、11月に中国で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議など秋以降の外交日程を考慮した。複数の関係者が12日、明らかにした。
木原稔官房長官は7日の記者会見で、終戦記念日に合わせた参拝について「首相が自身で適切に判断されることだ」と述べるにとどめた。首相周辺は「首相が靖国神社に行くことはないと思う。韓国との関係が面倒なことになる」と指摘した。
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/dfc7452ef2cfbd10194a2...

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>首相周辺は「首相が靖国神社に行くことはないと思う。韓国との関係が面倒なことになる」と指摘した。
徴用工、日本製鉄の敗訴確定 900万円賠償、韓国最高裁
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd8d7d2fc3d290ace5ee1...
徴用工、日本製鉄の敗訴確定 900万円賠償、韓国最高裁
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd8d7d2fc3d290ace5ee1...
昭和天皇が1975年(昭和50年)を最後に靖国神社への参拝(親拝)を行わなくなった背景について、長年「政教分離や公式参拝をめぐる政治的議論への配慮」など様々な解釈がなされていました。
しかし、2006年以降に相次いで公表された『富田メモ』**および**『卜部(うらべ)日記』**によって、**「靖国神社へのA級戦犯合祀に対する昭和天皇の強い不快感」が参拝取りやめの直接的な理由であったことが裏付けられ、論争に決定的な影響を与えました。
両文書の具体的記述と、それらがもたらした歴史的波紋について詳述します。
## 1. 『富田メモ』の内容
**富田朝彦(とみた ともひこ)元宮内庁長官**の手帳に記されていたメモで、2006年に日本経済新聞によって報道されました。
昭和天皇崩御の前年にあたる**1988年(昭和63年)7月20日**、昭和天皇が富田長官に対して語られた発言が克明に記録されています。
### 記された昭和天皇のお言葉(抜粋)
> 「私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが。
> 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
> 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
> **だから 私 あれ以来参拝していない それが私の心だ**」
#### 【文中の人物解説】
* **松岡(洋右)・白鳥(敏幸):** 日独伊三国同盟を推進し、敗戦後にA級戦犯として指定・被告となった人物。
* **筑波(藤麿):** 前靖国神社宮司。慎重姿勢を崩さず、在任中はA級戦犯の合祀を行わなかった。
* **松平の子(松平永芳):** 合祀を断行した当時の靖国神社宮司(松平慶永の孫)。
* **松平(永芳の父・康昌):** 元昭和天皇の側近(諸井・木戸に連なる宮中関係者)。「平和に強い考えがあった」と評されている。
昭和天皇は、三国同盟などを推し進めた人物らの合祀や、宮司の断行に対して「親の心子知らず」と強い不満を口にされ、「だから私、あれ以来参拝していない」と理由を明確に提示されています。
## 2. 『卜部亮吾侍従日記』の内容
富田メモの裏付けとして注目されたのが、昭和天皇に長年仕えた**卜部亮吾(うらべ りょうご)元侍従**の日記です(2007年公表)。
卜部氏の日記には、昭和天皇の意向や宮中内部の受け止めが具体的に記されていました。
### 主な記述(抜粋)
* **2001年7月31日の記述:**
> 「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」
* **2001年8月15日の記述:**
> 「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平(永芳宮司)は大馬鹿」
これにより、昭和天皇側近らの間でも「参拝取りやめの理由はA級戦犯の合祀(1978年)にある」という共通認識があったことが裏付けられました。
しかし、2006年以降に相次いで公表された『富田メモ』**および**『卜部(うらべ)日記』**によって、**「靖国神社へのA級戦犯合祀に対する昭和天皇の強い不快感」が参拝取りやめの直接的な理由であったことが裏付けられ、論争に決定的な影響を与えました。
両文書の具体的記述と、それらがもたらした歴史的波紋について詳述します。
## 1. 『富田メモ』の内容
**富田朝彦(とみた ともひこ)元宮内庁長官**の手帳に記されていたメモで、2006年に日本経済新聞によって報道されました。
昭和天皇崩御の前年にあたる**1988年(昭和63年)7月20日**、昭和天皇が富田長官に対して語られた発言が克明に記録されています。
### 記された昭和天皇のお言葉(抜粋)
> 「私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが。
> 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
> 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
> **だから 私 あれ以来参拝していない それが私の心だ**」
#### 【文中の人物解説】
* **松岡(洋右)・白鳥(敏幸):** 日独伊三国同盟を推進し、敗戦後にA級戦犯として指定・被告となった人物。
* **筑波(藤麿):** 前靖国神社宮司。慎重姿勢を崩さず、在任中はA級戦犯の合祀を行わなかった。
* **松平の子(松平永芳):** 合祀を断行した当時の靖国神社宮司(松平慶永の孫)。
* **松平(永芳の父・康昌):** 元昭和天皇の側近(諸井・木戸に連なる宮中関係者)。「平和に強い考えがあった」と評されている。
昭和天皇は、三国同盟などを推し進めた人物らの合祀や、宮司の断行に対して「親の心子知らず」と強い不満を口にされ、「だから私、あれ以来参拝していない」と理由を明確に提示されています。
## 2. 『卜部亮吾侍従日記』の内容
富田メモの裏付けとして注目されたのが、昭和天皇に長年仕えた**卜部亮吾(うらべ りょうご)元侍従**の日記です(2007年公表)。
卜部氏の日記には、昭和天皇の意向や宮中内部の受け止めが具体的に記されていました。
### 主な記述(抜粋)
* **2001年7月31日の記述:**
> 「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」
* **2001年8月15日の記述:**
> 「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平(永芳宮司)は大馬鹿」
これにより、昭和天皇側近らの間でも「参拝取りやめの理由はA級戦犯の合祀(1978年)にある」という共通認識があったことが裏付けられました。
## 3. 明らかになった「参拝取りやめ」の構造
1. **1975年(昭和50年)11月:** 昭和天皇が最後の靖国参拝(この時点では政治的理由・三木首相の「私人参拝」発言への配慮が表面上の理由とされていた)。
2. **1978年(昭和53年)10月:** 靖国神社が東條英機らA級戦犯14柱を極秘に合祀。
3. **1979年(昭和54年)4月:** 合祀が報道で発覚。**これ以降、昭和天皇は一度も靖国神社へ参拝されなくなり**、続く上皇陛下(明仁さま)、現天皇陛下(徳仁さま)も一度も参拝されていない。
## 4. この歴史的発見が与えた波紋と影響
『富田メモ』と『卜部日記』の発見は、日本の政治・社会・保守派内部に極めて大きな波紋を広げました。
### ① 「参拝取りやめ理由」の論争に決定打
それまで保守派の一部からは「政教分離批判や左派・中韓の抗議を気にして参拝を避けているだけだ」という説も唱えられていましたが、**「昭和天皇ご自身の意志(A級戦犯合祀への抵抗感)」であったこと**が証明され、従来の説は大きく撤回を余儀なくされました。
### ② 保守派・参拝推進派の衝撃と分断
「尊皇(天皇を重んじる)」を掲げる保守派にとって、「自分たちが推進する靖国参拝やA級戦犯合祀が、当の昭和天皇の御心に反していた」という史実は巨大な矛盾となりました。
* **分祀推進派の台頭:** 「昭和天皇の御心に応え、皇室の親拝を取り戻すためには、A級戦犯を分祀(分離して他に祀る)するしかない」という意見が自民党内や一部保守派から強く噴出しました。
* **合祀維持派の反論:** 一方の靖国神社や一部の硬派保守層は、「富田メモは個人的な発言のメモに過ぎず確証がない」「一説には側近の発言を引用されただけ」などの懐疑論を提示したり、「神道上、一度合祀した神霊を分祀することは不可能」として現状維持を主張しました。
### ③ 政治・外交的議論の変容
首相や閣僚の靖国参拝問題において、「中韓など外国からの批判」という外交問題だけでなく、「自国の皇室(天皇)との関係においてどうなのか」という国内の憲法・皇室論争の視点が不可避的に加わることになりました。
## まとめ
『富田メモ』や『卜部日記』は、昭和天皇が「自身を泥沼の戦争に引きずり込み、敗戦へと導いた戦争指導者(東條英機・松岡洋右ら)が、天皇のために倒れた英霊と共に祀られること」に対し、明確に拒絶の意志を示されていたことを物語る歴史的資料です。
この発見は、靖国神社が抱える「明治創建時の理念(天皇への忠誠)」と「戦後処理(A級戦犯の合祀)」の間の根深い矛盾を、天皇ご自身の言葉として炙り出すこととなりました。
1. **1975年(昭和50年)11月:** 昭和天皇が最後の靖国参拝(この時点では政治的理由・三木首相の「私人参拝」発言への配慮が表面上の理由とされていた)。
2. **1978年(昭和53年)10月:** 靖国神社が東條英機らA級戦犯14柱を極秘に合祀。
3. **1979年(昭和54年)4月:** 合祀が報道で発覚。**これ以降、昭和天皇は一度も靖国神社へ参拝されなくなり**、続く上皇陛下(明仁さま)、現天皇陛下(徳仁さま)も一度も参拝されていない。
## 4. この歴史的発見が与えた波紋と影響
『富田メモ』と『卜部日記』の発見は、日本の政治・社会・保守派内部に極めて大きな波紋を広げました。
### ① 「参拝取りやめ理由」の論争に決定打
それまで保守派の一部からは「政教分離批判や左派・中韓の抗議を気にして参拝を避けているだけだ」という説も唱えられていましたが、**「昭和天皇ご自身の意志(A級戦犯合祀への抵抗感)」であったこと**が証明され、従来の説は大きく撤回を余儀なくされました。
### ② 保守派・参拝推進派の衝撃と分断
「尊皇(天皇を重んじる)」を掲げる保守派にとって、「自分たちが推進する靖国参拝やA級戦犯合祀が、当の昭和天皇の御心に反していた」という史実は巨大な矛盾となりました。
* **分祀推進派の台頭:** 「昭和天皇の御心に応え、皇室の親拝を取り戻すためには、A級戦犯を分祀(分離して他に祀る)するしかない」という意見が自民党内や一部保守派から強く噴出しました。
* **合祀維持派の反論:** 一方の靖国神社や一部の硬派保守層は、「富田メモは個人的な発言のメモに過ぎず確証がない」「一説には側近の発言を引用されただけ」などの懐疑論を提示したり、「神道上、一度合祀した神霊を分祀することは不可能」として現状維持を主張しました。
### ③ 政治・外交的議論の変容
首相や閣僚の靖国参拝問題において、「中韓など外国からの批判」という外交問題だけでなく、「自国の皇室(天皇)との関係においてどうなのか」という国内の憲法・皇室論争の視点が不可避的に加わることになりました。
## まとめ
『富田メモ』や『卜部日記』は、昭和天皇が「自身を泥沼の戦争に引きずり込み、敗戦へと導いた戦争指導者(東條英機・松岡洋右ら)が、天皇のために倒れた英霊と共に祀られること」に対し、明確に拒絶の意志を示されていたことを物語る歴史的資料です。
この発見は、靖国神社が抱える「明治創建時の理念(天皇への忠誠)」と「戦後処理(A級戦犯の合祀)」の間の根深い矛盾を、天皇ご自身の言葉として炙り出すこととなりました。
上皇陛下(明仁さま)や現天皇陛下(徳仁さま)が即位後に一度も靖国神社へ参拝されていないのと同様に、秋篠宮さまをはじめとする現在の他の皇族方(皇室構成員)も、1978年のA級戦犯合祀以降、靖国神社への参拝を行われていません。>8月15日以外もですか?
はい、8月15日に限らず、年間を通していかなる日であっても參拝されていません。
昭和天皇(1975年11月が最後)をはじめ、上皇陛下(明仁さま:皇太子時代の1969年が最後)や天皇陛下(徳仁さま)、秋篠宮さまをはじめとする現代の皇族方は、春・秋の例大祭や正月なども含め、365日いつでも靖国神社への参拝を行われていません。
その主な背景と実情は以下の通りです。
1. 日付を問わず「完全に参拝が停止」している
首相や閣僚などの政治家の場合、「8月15日は避けて春・秋の例大祭に参拝する」「日をずらして参拝する」といった対応をとることがあります。
しかし皇室の場合は、「特定の記念日を避けている」のではなく、「靖国神社への参拝行為そのもの」が取りやめられています。 したがって、8月15日以外のどんな時期であっても参拝されることはありません。
2. 皇室による追悼の「代わりの形」
靖国神社への参拝を行わなくなった後も、皇室が戦没者への慰霊や追悼をやめられたわけではありません。
全国戦没者追悼式: 毎年8月15日に日本武道館で行われる政府主催の式典には、天皇皇后両陛下がご出席され、お言葉を述べられています。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑: 特定の宗教色をもたない国立の戦没者慰霊施設である「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」には、秋篠宮さまをはじめ皇族方が式典や拝礼のために訪れられています。
宮中祭祀(宮中三殿): 皇居内にある宮中三殿(皇霊殿など)において、歴代天皇や皇族、英霊に対する私的な拝礼・祈りは日常的に続けられています。
まとめ
天皇陛下や皇族方の靖国神社参拝は、8月15日という日付の問題ではなく、神社そのものへの参拝(いわゆる親拝・参拝)が全日程・全シーズンを通して停止しています。
はい、8月15日に限らず、年間を通していかなる日であっても參拝されていません。
昭和天皇(1975年11月が最後)をはじめ、上皇陛下(明仁さま:皇太子時代の1969年が最後)や天皇陛下(徳仁さま)、秋篠宮さまをはじめとする現代の皇族方は、春・秋の例大祭や正月なども含め、365日いつでも靖国神社への参拝を行われていません。
その主な背景と実情は以下の通りです。
1. 日付を問わず「完全に参拝が停止」している
首相や閣僚などの政治家の場合、「8月15日は避けて春・秋の例大祭に参拝する」「日をずらして参拝する」といった対応をとることがあります。
しかし皇室の場合は、「特定の記念日を避けている」のではなく、「靖国神社への参拝行為そのもの」が取りやめられています。 したがって、8月15日以外のどんな時期であっても参拝されることはありません。
2. 皇室による追悼の「代わりの形」
靖国神社への参拝を行わなくなった後も、皇室が戦没者への慰霊や追悼をやめられたわけではありません。
全国戦没者追悼式: 毎年8月15日に日本武道館で行われる政府主催の式典には、天皇皇后両陛下がご出席され、お言葉を述べられています。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑: 特定の宗教色をもたない国立の戦没者慰霊施設である「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」には、秋篠宮さまをはじめ皇族方が式典や拝礼のために訪れられています。
宮中祭祀(宮中三殿): 皇居内にある宮中三殿(皇霊殿など)において、歴代天皇や皇族、英霊に対する私的な拝礼・祈りは日常的に続けられています。
まとめ
天皇陛下や皇族方の靖国神社参拝は、8月15日という日付の問題ではなく、神社そのものへの参拝(いわゆる親拝・参拝)が全日程・全シーズンを通して停止しています。
全国戦没者追悼式と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝するだけで充分戦没者の供養になるんだよ
▲ページ最上部
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