① 国際連盟への提訴(満州事変)
1931年の満州事変の際、中国は即座に国際連盟へ提訴しました。
日本側が「自衛権の発動」「現地の権益保護」を主張したのに対し、中国側は「日本による主権侵害」「不戦条約違反」を論理的に訴えました。
この結果、国際連盟からリットン調査団が派遣され、最終的に日本の主張(満州国の承認)は否認されました。これが日本の国際連盟脱退、そして国際的孤立の決定的なきっかけとなりました。
② 対米宣伝戦(プロパガンダ)
特に効果的だったのが、アメリカに対する世論工作です。
宋美齢(蒋介石夫人)の活躍: アメリカ留学経験があり、英語が流暢な彼女は、アメリカのメディアや政界に対して「中国は民主主義を守るために、野蛮な軍国主義の日本と戦っている」というイメージを植え付けました。
キリスト教徒であることを強調し、アメリカ人の同情と支援(資金・武器)を引き出すことに成功しました。これは後の「ハル・ノート」や対日石油禁輸措置など、アメリカの対日強硬姿勢を後押しする要因の一つとなりました。
3. 思想的背景:「以夷制夷(いいせいい)」
この外交戦略の根底には、中国古来の伝統的な外交思想である**「以夷制夷(夷をもって夷を制す)」**があります。
意味: 「ある野蛮人(敵)を倒すために、別の野蛮人(第三国)の力を利用して戦わせる」という策略です。
実践: 日本(東の夷)を抑えるために、欧米列強(西の夷)を引き込み、自らは手を汚さずに、あるいは最小限の被害で敵を排除しようとしました。
4. 日本側の反応と結果
日本側は、こうした中国の外交戦術を**「排日侮日(はいにちぶにち)」「欧米への依拠」**として激しく反発しました。 日本国民や軍部は、「中国は同じアジア人である日本と手を組むべきなのに、欧米に告げ口をして日本を陥れようとしている」と捉え、これがかえって日本国内のナショナリズムを刺激し、日中関係の泥沼化、そして対米開戦(太平洋戦争)へと突き進む「ABCD包囲網」への恐怖心を煽ることになりました。
まとめ
戦前の中国による対日外交は、日本側から見れば「告げ口」と映るものでしたが、中国側から見れば**「弱者が強者に勝つための高度な生存戦略(情報戦・外交戦)」**でした。
結果として、中国はこの外交戦・宣伝戦において日本を圧倒し、日本を「世界の敵(侵略者)」として孤立させることに成功したと言えます。
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