【東京上空にB-29が300機】東京大空襲から80年 慰霊の法要


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001 2025/03/10(月) 15:21:02 ID:FPmc5YBOqk
10万人が犠牲となった東京大空襲から10日で80年です。東京・墨田区では多くの遺族が参列するなか慰霊の法要が行われました。

10日、墨田区の東京都慰霊堂で、秋篠宮ご夫妻も参列されて慰霊の法要が行われました。

慰霊堂には今も、その後の空襲も含めた10万を超える犠牲者の遺骨が安置されたままで、大半は身元が分かっていません。

法要では東京都慰霊協会の青山 ※ヤスシ会長が「悲惨な出来事を風化させることなく次の世代へ将来への教訓として生かしていくことが今を生きる私たちの使命です」と述べました。

そして、東京都の小池知事や遺族の代表などおよそ160人が焼香し、犠牲になった人たちを追悼しました。

※ヤスシは、「にんべん」につくりが「八」の下に「月」。

●“誰かが受け継いでいかないと”

法要のあと遺族の代表として参列した2人が取材に応じました。

このうち夫の父親が空襲で亡くなったという田中洋子さん(81)は「今もお墓には髪の毛一本入っておりません。80年の節目になりますが、いまも戦争で苦しい思いをしてる人がたくさんいるので戦争の経験がなかったものにならないよう、誰かが受け継いでいかないといけないと思っています」と話していました。

また、親戚が犠牲になったという内田和江さん(87)は自身も東京大空襲を経験していて「80年たっても空襲の光景がどんどん浮かんできて、胸が苦しいです。死体の山を逃げて生き残りました。やけどの痕は薄くなってもつらさは変わりません」と話しました。

その上で「戦争で苦労を重ねた人がたくさんいますので、その経験を絶対に忘れてはいけない。今を生きる幸せなお子さんたちに伝えていかなければと思っています」と話していました。

また、慰霊堂の建物の外にも献花台などが設けられていて、多くの遺族が訪れて静かに手を合わせ、犠牲になった肉親を悼んでいました。

両親ときょうだいのあわせて5人の家族を亡くした90歳の男性は車いすで訪れ「来年は来られるかわからないのでどうしてもと思って来ました。私は疎開していたので家族がどこでどう死んだのかわからないんです。なぜ死んでしまったんだ。平和が一番で、今の世界を見ていてももう本当に戦争はやるなと言いたい」と話していました。

また、父親と訪れた33歳の女性は曽祖父や曽祖母などが犠牲になったということで「父に誘われて、初めて来ました。今まで実感がありませんでしたが、今もこれだけ多くの人が亡くなった人を思われていると知って身近なことなんだと感じました。もう少しいろいろ考えるきっかけになりました」と話していました。

祖父母や3人の叔母が犠牲になったという74歳の女性は孫と一緒に訪れ「空襲では父だけが助かったんです。90代の父は今は施設に入っていて、来られなくなったので代わりに来ています。孫たちには家族を失った父のようなつらい思いをさせたくないです」と話していました。

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002 2025/03/10(月) 15:22:51 ID:FPmc5YBOqk
●「無差別爆撃」への転換点

太平洋戦争末期、1945年3月10日の未明に襲った「東京大空襲」は、アメリカ軍がそれまでの軍事施設を狙った爆撃から多くの民間人の犠牲を伴う都市部への「無差別爆撃」へと本格的にかじを切る転換点となりました。

太平洋戦争でアメリカ軍は多くの焼い弾を搭載できる「B29爆撃機」を開発し、1944年6月、日本の鉄鋼生産の中心地だった北九州の八幡製鉄所を狙って「B29爆撃機」による初めての日本本土への攻撃を行いました。

その後、アメリカ軍が1944年8月までにマリアナ諸島を占領し、基地を建設したことで日本の本土全域が空襲圏内となり、それまでの軍需施設を狙った「精密爆撃」から、戦争を早期に終結させるためとして焼い弾で日本の主要都市を焼き尽くす「無差別爆撃」へと変わっていきます。

その最初の本格的な都市空襲となったのが1945年3月10日の東京大空襲でした。

東京大空襲ではおよそ300機の「B29爆撃機」が木造家屋の密集地域を狙っておよそ1600トンの焼い弾を投下しました。

強風の影響で火災が広がって下町の大部分を焼き尽くし、およそ10万人が亡くなったとされています。

東京大空襲以降、大阪や名古屋、横浜、神戸などの主要都市で多くの民間人を巻き込む「無差別爆撃」が繰り返されました。

さらに地方の都市にも焼い弾が落とされるようになり、こうした空襲は8月の終戦直前まで続けられました。

以下ソース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250310/k1001474462...

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003 2025/03/10(月) 16:00:30 ID:EoIzkf.3lI
極悪非道のアメ公の日本人の大虐殺
戦争は軍事基地へ攻撃をするものなのに、東京に片っ端から爆弾落として皆殺し
ナチスのユダヤ人大虐殺と変わらん行為
無条件降伏を受け入れた昭和天皇はもう死んだんだ
国連で永久にアメ公批判をすべし

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004 2025/03/10(月) 16:14:14 ID:zDQVZsamvM
今ならJDAMで東條英機の自宅だけ爆撃

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005 2025/03/10(月) 17:06:28 ID:FPmc5YBOqk
>>3
都市への無差別絨毯爆撃を世界で最初に始めたのは我が日本とドイツだよ
つまり都市への無差別絨毯爆撃を「やってもいい」と戦争のルールを変更したのは日本とドイツ

ドイツ…ゲルニカ爆撃(1937年)
日本…重慶爆撃(1938~1943年)

当初は非人道的だと世界中から非難轟々だったが
日本とドイツが非難を無視してやり続けてたら
「だったら俺たちもやるわ」と米英もこれを用いるようになった

こうして日本・ドイツが変えた戦争ルールに則る形で
アメリカがアメリカの物量で同じことをやったら
やりだしっぺの日本とドイツが真っ黒こげになった

米英…ドレスデン爆撃(1945年)
米…東京大空襲・ヒロシマ・ナガサキ(1945年)

こういうのを仏教用語では「因果応報」という

これから得られる教訓は
国際法なんてものはどの国にとっても紙切れも同然で
実のところ「戦争にルールなんてない」ということ
そして、こうした戦争被害から自国を守れるのは
国際法ではなく「戦争抑止力」だけ、ということ

戦争抑止力とは、
・自衛隊や在日米軍のような軍事力であり、
・日米安保やNATOのような軍事同盟であり、
・いざとなったら複数の国々と連携して自国を防衛する集団的自衛権であり、
これらが、今度はソ連(現ロシア)や中共産党によって再び東京が火の海にされる事態を防いでいる

そして、日本国民を戦禍から守るこれら戦争抑止力の全てに反対してきたのが
日本共産党であることを忘れてはならない

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006 2025/03/10(月) 18:12:30 ID:7aq7rXUwHc
やっちゃいけない相手と喧嘩するから
追い詰められまくった挙句に、「気合いと精神力で何とかなる」って馬鹿の声が大きかったから戦争始めちゃった
まぁ、相手の方が二枚も三枚も上手だったんだよ

で、ルメイなんかに勲章上げちゃうって言う(笑
何十年経ってもこの国の馬鹿さ加減は変わっていないよ

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007 2025/03/10(月) 19:28:49 ID:3hjCDRf7QM
>>3
ユダヤ人大虐殺は作り話。虚構。

>>5
重慶爆撃が都市への無差別爆撃は略、作り話。虚構。

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008 2025/03/11(火) 07:36:19 ID:XWKGGUtUlY
竹槍で応戦するしかない境遇にはなりたくない、ガザ地区で戦車に石ぶつけてるのと被る

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