アメリカほど日本の怖さを知っている国はない。
アメリカが初めて日本に接触してきたのは幕末。
まだまだ新興国のアメリカは、日本と貿易することで、当時の超大国英露にやられないようにがんばろうとしていた。
結果日本の開国に成功したが、これは日本が英露にやられないための選択であり一方的に開国させられたわけではない。
事実、ペリーは日本を脅して有利に交渉を進めるつもりが、逆に江戸幕府から戦争したいなら相手すると脅され謝罪文を書いてる。
その後、日清戦争勝利、日英同盟を結び日露戦争に勝利すると、当時のセオドアルーズベルトは日本脅威論を唱え対日戦争に備え始める。
更に第一次世界大戦での勝利で、ドイツの領土を奪う。
日本も対米開戦は時間の問題としてフィリピン攻略からの講和を計画していたが、
コミンテルンの活動で日本は世界の敵とみなされる。
シナ事変からの大東亜戦争へ突入していくが、シナではほぼ無敗(ポツダム宣言まで無敗)。
暗号解読されて大敗を喫したミッドウェー海戦まではアメリカは日本にコテンパンにやられていた。
そのミッドウェー以後、日本は本土まで攻め込まれる。後付けの八紘一宇大東亜共栄圏を掲げ戦線を拡大しすぎた日本はロジが追い付かず無駄死劇場。
そんな状態でもシナの陸軍だけは無傷で残っており、アメリカは日本の底知れぬ強さに怯えていた。
原爆を落とされて結局敗戦したが、アメリカは戦争を終わらせるために落としたというのがよく聞く理由だが
それはアメリカが元々日本本土決戦になると読んでおり、ダウンフォール作戦を計画するもその場合の米兵の死者は200万人超と計算。
トルーマンはこれでは世論を抑えきれないという時に原爆が完成した。もし原爆を落としていなければ、200万人超の米兵の命がなくなっていたということで
アメリカが原爆を落としたのは200万人の命を救うためであり、戦争を終わらせるためではない。戦争を終わらせるためにと言うのは結果論に過ぎないわけだ。
もし日本がその後も戦争継続の意思を示していた場合、ダウンフォール作戦は実行されていた可能性が高いのだが
シナにいた無傷の陸軍との戦争になるので200万人の米兵は犠牲になっていただろう。
この戦争はアメリカの圧勝ではなく、辛勝であるという事実。それも対米開戦に集中したわけじゃなく、世界中を相手に戦争していた日本相手に辛勝。
だからアメリカは今でも日本を恐れている。その日本との同盟破棄への第一歩となることを望む。
返信する