・在日コリアン1世は日本の植民地支配によって強制的に連れて来られた
日本の戦争の歴史を考える時、植民地支配によって人生を大きく狂わされた人々の歴史を忘れるわけにはいかない。
朝鮮半島から日本各地に渡り、戦中・戦後を生き延びた在日コリアンたちは、その典型だろう。
多くの在日コリアンが身を寄せ合って生きた川崎市の臨海エリアで、彼らの「生活史」を刻む取り組みが始まった。
2024年、川崎市の桜本地区に生きる在日コリアンの女性たちにカメラを向けた金聖雄(キム・ソンウン) 監督(61)のドキュメンタリー映画
「アリランラプソディ~海を超えたハルモニたち~」が公開された。
戦争に翻弄(ほんろう)され、植民地となった祖国と日本のはざまで地をはうように生きてきた在日の女性たちの激動の半生と、
人生の晩年でようやく出会えたささやかで幸福な日常について、本人の語りを通して伝えることで、「生きた戦後史」を浮き彫りにしている。
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「アリランラプソディ」でハルモニ(おばあさん) たちが語る波乱と苦悩に満ちた半生は、
日本の植民地政策と日中戦争・太平洋戦争が朝鮮半島の人々の運命を大きく狂わせたことを、事実として見る者に突き付けてくる。
1910年に始まった日本による朝鮮半島の植民地政策の影響で、朝鮮の人々は住む場所や働く場所を追われて仕方なく日本にやってきた。
さらに37年に日中戦争がぼっ発すると、日本国内の鉱山や炭鉱などに続々と強制的に徴用され、45年に日本の敗戦を迎えるまでの間、累計約200万人の朝鮮人が海を渡った。
そしてこのうち約60万人がさまざまな理由から、戦後も日本にとどまったと言われる。
国内でも大阪や山口県の下関など、朝鮮人労働者は特定の都市に集中し、京浜工業地帯を抱える川崎市南部にも戦前から多くの朝鮮人が住み着いた。
文化や言葉の壁に直面しながらも地域の路地にエゴマやトウガラシを植え、キムチを漬ける、祖国の味を守りながら身を寄せ合うようにコミュティーを築いていった。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c13902...
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