
【田端】
「実は置屋と文豪の密集地帯」「山手線沿線なのに"無表情な街"」
殺風景な駅前から一歩踏み出した先には意外な光景があった
https://toyokeizai.net/articles/-/93832... なぜ「何もない街」に文豪が集まったのか
東京都北区田端は、山手線の駅があるのに、なんだか無表情だ。
「田端」とだけ聞いても、街の特徴が浮かんでこない。
しかし、この街は日本文学史の観点から、無視できない場所でもある。
日本の近代文学の歴史を語るとき、大正時代の一時期の文壇を
「田端時代」という言葉を使って表す人もいたらしい。明治の
終わりから大正期を経て、昭和のはじめまで、芥川龍之介、
室生犀星、菊池寛、堀辰雄、野口雨情、平塚らいてうなど、
教科書レベルの文人たちがこぞってこの地に住んだ。
明治期は東京府下北豊島郡滝野川村大字田端でした。その頃は
一面に田畑の広がるのどかな土地だったようです。でも、徒歩
でも通える距離に東京美術学校(現・東京藝術大学)ができたので、
美術関連の人たちが住むようになりました。
明治33年に画家の小杉放庵が下宿し、明治36年に陶芸家の
板谷波山が転入し、1年3ヶ月をかけて窯を築きました。その後、
波山を慕う芸術家が集まり、やがて文士たちも引き寄せられる
ように田端に住むようになったのです」
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