元々マイクロソフトを育てたのは日本だからね。
まだ全く売れないベーシックプログラマーだったビルゲイツ。しかしその先見性を見出した日本人がいた。
それが西和彦。そのプログラムの東アジアでの販売権を譲ってくれとビルゲイツに直談判。
このプログラムが、後にNECのpc88,98になり、FM77になるなど、日本のパソコンのまさにベーシックとなった。
西さんはビルゲイツの盟友となり、喧嘩もしたがなんだかんだでマイクロソフト副社長になった。
ちなみに西さんが初心者ユーザー向けに作ったパソコン、マイクロソフトXはMSXという名前で売られるが撃沈という黒歴史もあるw
さて、時期を同じくしてIBMがついに個人向けのパソコンを出すってんで、そのOSを探しているという話を聞きつけた西さんは
ビルゲイツに乗っかれ、マイクロソフト飛躍のチャンスはここしかないってんでごり押し。渋っていたビルゲイツも首を縦に振り
IBM用にOSを作った。それがMS-DOS。
このパソコンが超大ヒット。世界にマイクロソフトの名をとどろかせた。
日本ではIBM互換機として、DOS/Vと呼ばれ90年代以降日本のPC勢力図を完全に塗り替え、NEC、富士通、シャープを
PC市場から完全に撤退させてしまった。(※後にDOS/V機を作り、Windows搭載して生き残りを図る。)
その後MS-DOSの後継OSにGUIを搭載したWindowsを発表し現在に至るわけだが、先にGUIを搭載していたアップルは、ファミコンに対するセガマークⅢ的な立ち位置であり
当時はクリエイター以外見向きもしないPCだった。
(アップルは後に一般ユーザーを取り込むべくiMACを発売して、Windows98に対抗していくが中ヒットどまりであったため、ipodなどPC以外の商品開発へと舵を切ることで大ヒット。売り上げは本業のパソコンへフィードバックされた。)
win95の発売で特に秋葉原のラオックスでは行列ができるほどの盛り上がりを見せたのは、当時のユーザーがそういう経緯を知っている人がほとんどだったため。
PCが家電ではなかった頃の話。
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