紫式部の時代、気候変動で首都人口半減&日本じゅうの村落壊滅 再来年のNHK大河の舞台


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001 2022/12/18(日) 23:00:45 ID:l2Xbrq1fZg
◆科学データが見せる10世紀に社会が大きく変化したわけ
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/25536...

このデータを見てみると、9世紀後半から10世紀は、少雨(乾燥)と多雨(湿潤)が短期間に繰り返される、気候変動の激しい時期であったことがわかります。特に天暦2(948)年は、気候変動データの過去2000年間で見ても乾燥傾向が顕著な年で、『日本紀略』(※2)をみると、この年の5・6月には祈雨(きう)と旱魃の記事が度々出てきます。やはり10世紀の環境的な変化はとても激しいものであったことが、データからもわかってきた。

従来、この時期の歴史的な変革は、承平・天慶の乱などの政治的な変化を中心に語られてきました。しかし、考えてみれば当時の平安京に住む庶民の人々は、現在のようにリアルタイムのニュースで状況を知っていたわけではありません。むしろ彼らが脅威に感じていたのは、日々の天候の極端な変動だったはずです。大雨によって平安京が洪水に見舞われたり、大風で家屋が倒壊したりして、都市のインフラが機能しなくなってしまう。あるいは平安京の周辺でも、旱魃・洪水によって耕作地が荒廃し農作物が実らなくなる。結果として、人々は生きていくため、より多くの人間が生活する場所へと集まるようになる。つまり平安京への人口集中です。

すると次に起こってしまうのは、そう、感染症の大流行です。

こうした様子は、文献史料とつきあわせると、さらによくわかります。いやむしろ、従来、文献史料で旱魃や大雨と書いてあるのを読んでいても、実際にどの程度のものなのかはイメージしにくかったのが、科学的データの裏づけがあることによって、よりリアリティを伴って迫ってくるようになりました。

たとえば『日本紀略』を見てみると、永延元年(987)には祈雨、旱魃の記事があり、正暦2(991)年5月から7月にかけては旱魃、翌3年5・6月では「東西京中洪水」「大雨洪水」と書いてある。実際の気候変動データでは、永延元年は顕著な乾燥傾向、正暦3年は極端な湿潤傾向を示します。そして、正暦4年5・6月は咳逆(がいぎゃく)の疫が、8月には疱瘡(ほうそう)が流行する。疫病は、おそらくインフルエンザや天然痘のようなものだと思われます。疫病の大流行は翌年も収まることを知らず、『日本紀略』は4月から7月までに「京師の死者半(なかば)を過(す)ぐ。五位以上六十七人」と書いています。

平安京の市街地では半分以上の人が亡くなってしまい、しかも今でいう各省庁の要職や閣僚クラスの人々が67人も命を落としている。とても深刻で、危機的な状況です。

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005 2022/12/19(月) 06:29:49 ID:cCoQ/EKshU
平安時代は平均気温も高い傾向だったからね
今と同じく疫病流行も頷ける

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