■136人の朝鮮出身者、47人の日本人が生き埋めに
戦時中の1942年に起きた水没事故で、動員された朝鮮人183人の労働者が犠牲となった山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」。
遺骨を残したまま封鎖された坑道入り口が市民団体によって先月開かれ、26日に韓国や日本の遺族らを招いた追悼式が営まれた。
82年前の「水非常」がいまに問うものは。
◆幼いころは「毎日ここに来て泣いていた」
「お父さん、私が来ましたよ」。韓国から参加した全錫虎(チョンソッコ)さん(92)は韓国語で叫ぶと手で顔を覆った。
全さんの視線の先には幅2.2メートル、高さ1.6メートルの坑口。中は海水がゆらぎ、奥には真っ暗な闇が続いていた。
長生炭鉱は1932年に本格操業を開始。1942年2月3日朝、坑口から約1.1キロ先の海底坑道が崩れ、136人の朝鮮出身者、47人の日本人が生き埋めになった。
この日の式典に参加した遺族は韓日合わせ約20人。ほとんどが犠牲者の孫から下の世代だ。坑口前に設けられた祭壇の周りには、この日を見ることなく亡くなった韓国の遺族会の遺影も掲げられた。
全さんは数少ない子の世代の遺族の一人。事故当時家族で炭鉱の近くに暮らし、40歳だった父を亡くした。
事故後に坑口はふさがれ、幼いころは「毎日ここに来て泣いていた」。報道陣の呼びかけに「胸が痛くて言葉が出ない」とかすれ気味の日本語で応じた。(途中略)
京都市の在日コリアンの藤井潔さん(75)は祖父とその弟を亡くした。「2人は朝鮮から無理やり連れて行かれた」と親戚から聞いた。
「坑口発見のニュースを見てうれしかった。地元の人が頑張ってくれて。遺骨は掘り起こしてあげたい。やっぱり故郷に戻してやりたいですよ」
韓国遺族会の楊玄(ヤンヒョン)会長(76)は「遺骨は坑口のすぐそこにある」と確信する。「国や宗教やイデオロギーは関係ない。
韓国人も日本人も犠牲者。遺族の元に遺骨が戻ってくるよう、なんとか助けてください」(途中略)
◆名前も民族性も奪われ強制連行された
日本政府は1939年以降、労務動員計画に基づき、集団での募集、徴用と形を変えながら、朝鮮人を日本の炭鉱や土木現場へ送り込んだ。
その数は約80万人に及ぶ。
竹内さんは、政府・企業が一体となって人を集め、自由な移動も禁じたとし、
「植民地統治下の皇民化政策で名前や民族性を奪われたうえに、総動員体制で労資一体・産業報国の下で働かせるという二重の強制性があった」と説く。
だが日本政府や行政側は「強制性」を否定する姿勢を示してきた。2021年の閣議決定で「強制連行」などの用語は適切でないとし、教科書からも記述が消えた。
今年1〜2月には、群馬県の県立公園「群馬の森」にあった朝鮮人労働者の追悼碑が行政代執行で撤去。
竹内さんはこうした動きを歴史否定ととらえ、「大日本帝国憲法下の人権侵害、植民地支配への反省が全くない。
弱者や声なき人へのまなざしがなければ、権力サイドの歴史になってしまう」と危ぶむ。
戦時下の強制動員を認めないことは、日本人の学徒動員などの強制性への否定にもなりうると強調する。(以下略)
東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/36274...
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