「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋(あっせん)』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」
新潟県が1988年に発行した「新潟県史 通史編8 近代三」の文章だ。戦時中、佐渡金山などへの朝鮮人の強制動員・強制労働があったと記している。
佐渡島を歩くと、あちこちに朝鮮人徴用工が働いた痕跡があった。証言も残っている。
日本政府は2022年2月、世界文化遺産への推薦書を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出した。
イコモスは今年6月、「登録」に次ぐ2段階目の「情報照会」を勧告。「世界遺産登録を考慮するに値する価値がある」とした上で、江戸時代だけでなく
「鉱業採掘が行われていた全ての時期を通じた、全体の歴史を現場レベルで説明・展示する」よう求めた。朝鮮人の強制労働問題を指すのは明らかだ。
▽露骨な差別意識
冒頭の新潟県史によると、1942年発表時点で、新潟県内で働く朝鮮人は三菱鉱業佐渡鉱山が最多の802人いた。
家賃を徴収せず、日本語を教えるなどの「配慮」もあったとする一方で、労働条件を巡るストライキや、民族差別賃金を不満とする逃亡もあったと記す。
県史は、三菱側が「露骨な『劣等民族観』を隠そうともしなかった」とトラブルの理由を断じている。
「1945年3月が募集の最終回で『総勢1200人』が佐渡鉱山へ来たとされる」。
朝鮮人徴用工は複数の宿舎に収容され、日本人労働者より坑内作業を担わされる傾向が強かったと数字で示した。
▽韓国から連行した強制徴用工におわびしたい
小杉さんら市民団体「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会」は、1990年代から歴史を掘り起こす活動を続けてきた。
1995年7月には、韓国で佐渡の元徴用工を捜し当てた。(途中略)
▽言うことを聞かないと「気合」
元徴用工の2人は、日本人と待遇が違うと感じたことや、削岩など肉体的にきつい仕事を割り当てられたことを語った。
韓国からの3人と小杉さんらは、当時の相川町長と面会。町長は過去を振り返り、迷惑をかけたとして「おわびしたい」と謝罪したという。
小杉さんも関わり、別の市民団体が今年6月に発刊した「佐渡鉱山・朝鮮人強制労働資料集」には、盧さんと尹さんを含む多くの元徴用工の証言がまとめられている。
・盧秉九さんの証言。
「1941年9月、18歳の時に役所から佐渡鉱山に行くよう命じられた。断れば軍隊に行かされるというので応じた」
「毎日、朝と夜に皇民化教育と技術指導を受けた。朝、坑夫が全員集められ、天皇陛下を拝む。言うことを聞かないと『気合』を入れられた。殴るのが特徴だ」
「同僚はダイナマイトの爆風でカンテラの火が消え、深い坑口に落ちて亡くなった」
・尹鐘洸さんの証言。
「仕事は削岩した岩を集めたり、トロッコを運転したりで、ひどいほこりの中で作業させられた。年を取るにつれて、咳やたんが多くなっている」(以下略)
https://www.47news.jp/11225571.htm... ↓ 朝鮮人用社宅「第一相愛寮」跡地に残る拘置所の建物を案内する小杉邦男さん=2024年6月
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