「空を飛ぶゼロ戦と南漢山城の守御将台を一緒に描写するとか、日章旗を持った人々が朝鮮から出征する兵士たちを歓送するとか…。
消息を伝えるはがきは親密性の強い私的な媒体ですが、そこで戦争を広報するというのが矛盾的、逆説的に感じられました」
仁荷大国語教育科の崔賢植(チェ・ヒョンシク)教授は、日帝強占期の写真はがきに注目するようになった背景についてこのように説明した。
崔教授は最近、『日帝時代の写真はがき、植民地朝鮮を歌う』(成均館大学出版部)を出版した。
日帝時代に植民地観光が活性化するのに伴い、慶州・金剛山といった名勝地や朝鮮の文物を写真や絵画で紹介するはがきが登場した。
それが単なる旅行記念品ではなく、異国情緒という外皮の内側に軍国主義イデオロギーを秘めた宣伝メディアだったことを示す著作だ。
崔教授は「これまで収集したはがきは800枚くらいになる」と語った。そのうちおよそ100枚を著書に収録した。
「朝鮮的なもの」のイメージに歌詞を添えて紹介する形式が多い。
例えば「朝鮮民謡」はがきには石窟庵本尊仏、リンゴを収穫する朝鮮女性の写真と共に、いとしい人を待つ女性の心を歌った歌詞が登場する。
「日帝は、崩壊していた石窟庵を再建して観光地とし、本尊仏の美を女性の体になぞらえました。
こういう事情を考慮すると、はがきは受動的・女性的存在である朝鮮と、それを見つめる支配的・男性的な日本の視線をあらわにしていると言えます。
民謡となっていますが、歌詞も、詩人・金素雲(キム・ソウン)が当時出版した民謡集には出ておらず、日本人が創作した可能性があります」
(中略)
崔教授は、大学院の授業でもはがきを活用するという。100年前のはがきを再び見ることにはどのような意味があるのか。
崔教授は「多文化時代を生きていく私たちが、当時の日本人の朝鮮人に対して持っていた差別的視線でもって、
外国から来た人々を眺めているのではないか-と振り返らせてくれる」と語った。
朝鮮日報日本語版
どんだけひねくれてるんだか、崔センセーは
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