木原防衛相、宮古島・石垣市長と面会 玉城知事とは見送り


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001 2023/09/24(日) 22:05:26 ID:Hhx23kuwCY
木原稔防衛相は24日、沖縄県を訪れ、宮古島市の座喜味一幸、石垣市の中山義隆両市長とそれぞれ面会した。沖縄の地元首長との面会は就任後初めてで、南西地域の防衛体制強化に理解と協力を求めた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡り、国と対立する玉城デニー知事との面会は今回、見送られた。

両市長との面会は、陸上自衛隊宮古島駐屯地と陸自石垣駐屯地の視察に伴い行われた。

宮古島市内で座喜味氏と面会した木原氏は「市民の協力に改めて感謝する。南西地域の防衛力は引き続き強化したい」と述べた。座喜味氏は「国際情勢は厳しいものがあり、市民の生命・財産をいかに守り切るかが重要な課題だ」と応じた。
木原氏は、その後の中山氏との面会では、6月以降、北朝鮮の弾道ミサイルを迎撃するための地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を石垣市内に配備したことに言及し、地元理解に感謝の意を示した。

就任早々、南西地域の防衛力を強化する上で重要な沖縄の離島の地元首長と面会した一方、玉城氏との対話も模索したが調整がつかなかった。政府関係者は「今回の沖縄訪問はあくまで部隊視察が目的だ」と説明する。

普天間飛行場の辺野古移設計画では、国が申請した工事の設計変更を県が不承認とした処分の妥当性などが争われた訴訟で、県の敗訴が4日に確定し、玉城氏は苦しい立場に追い込まれている。

それでもスイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会では「(米軍基地が沖縄に)集中し、平和が脅かされている」と改めて辺野古移設への反対を表明し、物議をかもした。26日に開会する沖縄県議会では、人権理事会での発言に加え令和4年度決算が県側のミスにより「赤字状態」となっている問題などで追及されるのは必至で、木原氏との面会よりも議会対応を優先したとみられる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/06066f345a3824766701c...

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002 2023/09/25(月) 21:04:25 ID:lTVs8n7pQ.
[YouTubeで再生]
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏します。北緯30度以南の南西諸島が日本から切り離され、アメリカ軍の統治に入りました。1951年、日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を締結し独立を回復します。一方、沖縄では1952年に琉球政府が創設されました。1940年代後半、世界はアメリカとソ連が対立する冷戦の時代に突入します。東アジアでは中華人民共和国が成立。ソ連率いる社会主義勢力の勢いがまします。1950年、北朝鮮軍が韓国領へ進軍したことで朝鮮戦争が始まりました。緊迫する東アジア情勢に対応する拠点としてアメリカが活用したのが沖縄です。アメリカ軍は沖縄各地の土地を強制的に収容し、基地を建設します。

1967年11月の日米首脳会談において、沖縄を日本に返還することで両国が合意しました。交渉の過程でアメリカは有事の際に基地を自由に使用することや日本による費用負担などを求め、日本政府はこれに応じます。ベトナム戦争によって財政が悪化していたアメリカのジョンソン政権としては、沖縄返還で新たな出費が生じる事態を回避したかったのです。

1971年、日本とアメリカは沖縄返還協定に調印します。日本側は首相の佐藤栄作、アメリカ側はニクソン大統領が条約に調印します。条約の前提として日米安全保障条約を堅持することや、沖縄の「核抜き・本土並み」返還などが合意されていました。この協定で、アメリカは日本に沖縄の施政権を返還。それに対し、日本は沖縄にある在日アメリカ軍基地の使用権を引き続き認めることや、移転に関する費用の負担などを行うことが定められます。アメリカ軍基地の全面撤退を求めていた屋良朝苗や復帰賛成派の期待を裏切る内容だったため、返還後も沖縄はアメリカ軍基地問題で苦慮することになりました。沖縄返還後も、アメリカ軍基地は沖縄に残されました。在日アメリカ軍は横田基地、横須賀基地、厚木基地、岩国基地、三沢基地など国内各地に駐留しています。
https://rinto.life/11352...

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