>>22 私は西武線の新井薬師(だったかな)にあった労働者のデータセンターとN◯Cの間を生き来する、という仕事が最初でしたよ。
日立のシステムだったような。
でもだんだんコンピュータ室の出入りが多くなった。
電電公社の交換機の仕事がメインになってね。
そのころ、交換機が機械式から電子交換機に代わる時で、私もそのウチのほんの(全くほんの)一部を任されたリーダーだった。
仕事場は横須賀通研で、横須賀線の衣笠が最寄り駅だったこともあり通うのが大変でした。
そして日本初の電子交換機が学芸大学駅近くの目黒通り沿いの局(今もあります)に設置され、電子交換機の試験が長く続いたのです。
そして私が電電公社の仕事を離れるころ、電子交換機は全国展開して行きました。
今みなさんが普通に使ってる電話。それがちゃんと繋がるのは私のおかげだよ(?)
電話交換機はN◯Cがほぼ独占してた。富士通がサブ的な部分をやってたな。その後日立も参加したのかな?
写真は初期の電子交換機。ちょっと調べたらこれは既に技術遺産なんだって。
ってことは私も既に遺産化してる???笑
ああ、でもIBMの箱崎や富士通の武蔵中原にもよく行きました。
金沢にあるNTTコミュニケーションズのデータセンターが地方に行った最後の仕事だったな。
徐々にネットが普及してオンラインで済むようになったからね。
プログラム組むのは上海の中国人とかね。オンラインで繋がってるから、まるで隣室にいるみたいに、同じプロジェクトを共有できる、横須賀通研のころとは隔世の間だね。
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