
幕末の長州藩(特に第二次長州征伐=四境戦争の時期)における庶民の兵役への志願状況は、当時の日本としては異例とも言える**「極めて高い熱量と参加率」**でした。
単に兵士として志願するだけでなく、後方支援も含めた**「藩ぐるみの総力戦」**の様相を呈していました。その背景には、生活苦からの脱却という現実的な動機と、故郷を守るという防衛意識の両面がありました。
詳しく解説します。
1. 庶民が参加した枠組み:「諸隊(しょたい)」
長州藩の正規軍(武士)だけでは幕府の大軍に対抗できないと考えた高杉晋作らが創設したのが、身分を問わない混成部隊**「奇兵隊」です。これをモデルに、藩内各地で多くの「諸隊」**(遊撃隊、整武隊など)が結成されました。
参加資格: 原則として「志ある者」であれば、農民、町人、力士、僧侶、被差別身分の人々に至るまで広く門戸が開かれました。
規模: 奇兵隊などの主要な隊だけでなく、村単位の自警団(農兵)も含めると、大小合わせて100以上の部隊が生まれたと言われています。
2. 庶民が志願した3つの理由
なぜ、本来は戦う義務のない庶民がこぞって志願したのか、主な理由は以下の3点です。
① 経済的なメリット(給与と食事)
当時の長州藩は度重なる戦費負担で農村が疲弊していましたが、諸隊に入隊すると**「給金」と「食扶持(米)」**が保証されました。
安定収入: 貧しい農家の次男・三男にとって、入隊は口減らし(食費節約)と現金収入を得るための魅力的な「就職先」でした。
装備: 隊服や最新の銃が支給されることも、若者にとっては憧れの対象でした。
② 身分上昇への渇望
諸隊では、実力があれば庶民でも隊長などの役職に就くことができました。
帯刀の許可: 武士の特権であった「帯刀」が許されることは、当時の庶民にとって強烈なステータスでした。
実力主義: 身分に縛られず、能力次第で評価される環境は、封建社会に閉塞感を感じていた層を強く惹きつけました。
③ 危機感と郷土防衛(「防長二州」を守れ)
特に第二次長州征伐(四境戦争)の際は、幕府軍による「侵略」という色彩が濃くなりました。
プロパガンダの成功: 藩首脳部は「幕府軍が来れば、田畑は荒らされ、女子供は攫われる」といった情報を流布し、民衆の危機感を煽りました。
実際の被害: 実際に幕府軍の一部が乱暴狼藉を働いたため、庶民の間に「幕府=悪」「長州軍=自分たちの守り手」という意識が定着し、自発的な協力体制が生まれました。
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