葬式・僧侶に“不要論”現役僧侶の危機感


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001 2025/02/25(火) 21:15:58 ID:PLydaXmgtI
「長くて退屈」「料金が不透明」葬式・僧侶に“不要論”
現役僧侶の危機感「なし崩しでやれてきた伝統宗教の怠慢」

葬儀の様子も様変わりしている。2024年の調査では、2日かけて通夜・告別式を行う
“一般葬”は約3割に減少する一方、少人数による“家族葬”が半数を占めて、
告別式のみの“1日葬”や、火葬のみの“直葬”など簡素化が進んでいる。
いまや「葬祭・僧侶不要論」もあり、「先人たちを大事にする思いはあるが、
限られた資産は未来に投資したい」との思いから、三回忌からの法要を簡素化した人もいる。

こうした変化を「正直寂しい」と嘆く、龍我山雲門寺の僧侶・古溪光大さんは、
TikTokでの1分法話や、YouTubeでの般若心経ラップなど、社会の流行やニーズに合わせた
発信を行う。技術が進歩する中で、葬儀には「長くて退屈だ」、僧侶に対するお布施は
「料金が不明瞭」との声もある。

不要論が高まっている理由としては、「規模や人数などの『簡素化』が進む」
「『無宗教』を自認する人が増え仏教行事への関心が低下」「樹木葬や散骨など寺に依存しない
供養方法が人気」「お布施などの金額が不透明(“お気持ちで”問題)」などがある。

公益財団法人 全日本仏教会の調査によると、葬儀・法要に関しての不安は、
「費用が分からない:66.0%」「お布施の金額がわからない:64.9%」
「葬儀や法要に何が必要かわからない:59.3%」「自分の家系の宗派などがわからない:37.5%」
となった。

古溪さん「『弔ってもらっている感』を与えられない僧侶は不要だ。決められた日時に斎場に来て、
木魚をたたいて、お経を読むだけの人は要らない」。よく“葬式仏教”と表現されるが、
「大切な人の喪失感が癒えるように、最近では“グリーフケア”が重視されている。
日本には三回忌、七回忌、十三回忌と、昔からの段階的なグリーフケアがある。
これをなくしてしまえば、あとから大きな喪失体験に気づくことになる」と警鐘を鳴らす。
記事全文 https://times.abema.tv/articles/-/1016524...

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053 2025/03/08(土) 09:53:36 ID:H8exBIoxaA
主人とはまだ一致する所までいきませんが、私は生きている人を
困らせる様な先祖にはなりたくないと思っています。

親である私を忘れてくれていいと考えています。
精一杯この世を生きる事……他に大切な事って何でしょう。

それからは、仏教やお寺などについての本を色々と読んでみました。
そして、本当に本当にびっくりしました。
本来の仏教とは生きている人の為にあり、先祖供養や葬儀とは
直接つながるものではなかった事を知ったのです。

又、お寺のあり方に疑問を持って寺を飛び出した僧侶もあった事を知り、
何だか気が楽になりました。
そして、仏教のすばらしさも少しは知りました。

もし、本来の仏教が正しい形で広められていたなら、
どれだけ多くの人が救われた事でしょう。

と同時に、檀家制度で苦しんでいた先祖への思いで胸がつまります。

一つ間違えば宗教は怖いものです。
いつの間にかお寺を無条件で信じ、葬式やお墓や仏壇のあり方も
黙って受け入れなければいけないものだと思い込んでしまうのですから。

『この今をどう生きたらいいかを問うのが仏教の本命』であり、
今をどう生きるのか迷っている人々が気軽に行ける所がお寺。
そんな風であったらいいですね。

『心の時代』と言われる現代に、いっぱいあるお寺が本来の仏教を正しく
伝える役目を果たしたら、日本はすばらしい国になるかもしれないと思います。
檀家制度を根本から考え直す時ではないでしょうか。

幼い頃から『ご先祖さまは大切にしなければ罰が当る』とよく言われましたが
わたしはこの言葉には少し抵抗を感じます。

『ご先祖さまも大切かもしれません。でも何より今生きている人を大切に』

『ご先祖さまという言葉でこの世の人を不幸にだけはしないで下さい』

と申し上げたいのです。」

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054 2025/03/08(土) 09:56:19 ID:H8exBIoxaA
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブッダの入滅が近いことを知った弟子のアーナンダにブッダは言われた。

「アーナンダよ おまえたち(僧侶=出家者)は 葬儀にかかわってはなりません 
そのようなことは司祭者 在家のひとたちがすることです 
この世の一切は移ろうものである おまえたちは ただただ真理を求め 怠ることなく 
どうか おまえたちは修行(輪廻からの解脱)に励んでほしい」(涅槃経)

「死者はバラモン(司祭者)にまかせよ」(長阿含経第十四巻第三分)

この言葉はすべての僧侶が知っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に水子供養について。

私の知る限り、水子供養が定着したには昭和30年半ば(1970年代中ごろ)
からだと思います。
しかも突如、「水子供養」が流行したということも。

インターネット掲載文には

「1970年代半ごろ、ある宗教団体と墓石屋が『水子地蔵』を
大量生産・大量販売したことにある。これが当たった。
当然、他の神社仏閣や新興宗教団体もマネをするようになり、
日本に『水子供養』が定着するようになった。」

とあります。

水子供養は戦後最大のヒット商品と揶揄されています。
また、次の文も掲載されています。

「水子供養は、一部の尼寺で行われていたことを除いて、
ほとんどの寺院では戦後の『水子供養ブーム』に乗って、
現在になって盛んに行うようになったものです。
古い歴史があるものではないので、ご注意ください。

水子供養の説明のほとんどに、胎児が成仏できずに苦しんでいるとか、
「賽の河原」で苦しんでいると書かれていたり、母親にたたりがあるとか、
兄弟や子や孫の代にまでたたると、脅しのような文句が見られますが、
歴史的には浅いのですから、その文句は間違っていることが判ります。

本当にたたりがあったり、苦しんでいて可哀想なら、
昔から供養をしていたはずです。

ごく最近まで日本の仏教界は、胎児の死亡にまったく興味がなく、
供養すら行わなかったことを知ってください。

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055 2025/03/08(土) 09:58:03 ID:H8exBIoxaA
それにほんとうの仏教では、亡くなった命は静かに涅槃(命の元)に
かえり行くものとされていて、もちろん『賽の河原』もなければ、
『たたり』もないのがほんとうの仏教の教えです。」

「供養を怠るとバチが当たる」と言う人は仏教に無知であり、
ご先祖や幼子・胎児を悪者に仕立てる哀れな人です。

「水子供養」をどうこう言う人は、女性でなければ感じ取れない
辛さに付け込む卑怯な人です。

*供養とは・・・お仏壇や墓が有ろうと無かろうと、命日で有ろうと無かろうと、
 愛しい人、大切な人を思い出したとき、そのときすでに供養となっています。

 また、食べることができなくても好物の食べ物を供えたい・見えなくても
 好きだった花を供えたい・聞こえなくても好きだった音楽を聞かせたい、
 答えなくても語りかけたい、と行動したときすでに供養になっているのです。

 電車の中、バスの中、どこに居ようとも、ふと、心の中で手を合わせたとき
 すでに供養となっています。

 お坊さんを呼ばなければ供養できないということはありません。
 
 元気で暮らしている姿に勝る供養はありません。家をきちんと片付け、
 社会一般常識(道徳)を守り素直に与えられた命に感謝して生きる。
 これが供養です。

 手に取るもの全てに感謝し、踏みしめる大地を愛おしく思い、
 この世の一つ一つを愛し・慈しみ・結果を自ら高めること、
 これが生きていく本当の姿だと考えます。

≪ことば・日下部妙心≫

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056 2025/03/08(土) 10:06:00 ID:GQWomL1rCo
そのとおりだ。
生きている間に何らかの関わりを持たなかった人間は救済されないのは当たり前。
死んだ人間があるかどうかわからない死後の世界でどうなっているのかなんて生きている人間にとってはどうでもいいこと。

だから、ヒトが亡くなったってイベントを通じて、生きている人間になんらかの関わりを持たせるって方式が日本の寺仏教。
受け取っている側が間違っているだけの話。

水子なんて居るわけもないが、堕胎した女性の心の傷をケアするのは病院かカウンセラーか宗教なんだろう。

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057 2025/03/09(日) 10:30:27 ID:r8Ep2bsS76
こうやって説教臭い長文だらだら貼り付けているから
今どきの若い衆に見放される
そんな時代なんどろな

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058 2025/03/09(日) 10:55:20 ID:Hf./IBmLN.
>>52,>>53
>『何でお寺やお墓の事で、今生きている人間が困らなければならないの? 仏教って何?』

>『ご先祖さまも大切かもしれません。でも何より今生きている人を大切に』

>『ご先祖さまという言葉でこの世の人を不幸にだけはしないで下さい』

>私は生きている人を困らせる様な先祖にはなりたくないと思っています。

>親である私を忘れてくれていいと考えています。
>精一杯この世を生きる事……他に大切な事って何でしょう。


共感しかない。

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059 2025/03/09(日) 13:04:21 ID:DJIigxnWJg
生きている人間が大事なら、ちゃんと自分の宗教を持たないとだめだと思う。
葬式のときにそのイベントが必要で慌てて寺とか宗教に所属するから問題なんだと。
生きている間に所属しないで葬式って儀式を執り行ってくれるのは日本の寺だけじゃないかな?

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060 2025/03/10(月) 11:46:19 ID:n7k8CSpOtY
葬式って生きている人間のためにやる宗教儀式なんだけど、死者に何らかの効果があると勘違いているやつが多すぎる。
死体や骨にはなんの効果も作用も及ぼさない。

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061 2025/03/10(月) 15:32:37 ID:aNoRIIw55Y
人生で、喪主になってお金が掛かるって、両親が亡くなった時の1~2回ほどだろ!?
(後にも法要もあるが)
大切な両親が亡くなって、極楽浄土(天国)で、何の苦も無く過ごせるようにしてもらう儀式をおろそかにしたり省いてどうすんだよ・・・

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062 2025/03/10(月) 16:54:51 ID:dyIHEej4zw
現生人類ホモサピエンスになってからだけでも1000億人以上死んでるわけで
先ずは物理的な 墓 をやめないといつかは破綻してしまう。

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063 2025/03/10(月) 18:04:27 ID:n7k8CSpOtY
>>61
根本的に間違っている。
死んだ人間が冥土で生まれ変わっても本人がこの世でどんな生き方をしたのかが問題になるのであって、
死んだ後の宗教儀式であの世の暮らしが変わるわけじゃない。
そもそも死んだ後に死体や骨になんらかの影響を及ぼす効果はない。

葬式で大事なのは集まってきた人間に対する効果とか作用とか布教って効果。

故人を悼むとか死を受け入れるとか故人の貢献を称える とか命の大切さを知るとか
他人との関わりを知ったり確認するってことだろうな。
儀式を面倒で日常的な動作にしてないのは、特殊な状況に全員を置くことで故人の喪失感を少なくするって作用。

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064 2025/03/10(月) 18:37:23 ID:7aq7rXUwHc
葬式の意義とか、費用の透明性だけじゃなくって、火葬代金の不明瞭さも問題視した方が良いんじゃないの?
東京なんて特定の業者の寡占状態で火葬もオチオチ出来ないって言う

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065 2025/03/10(月) 18:39:08 ID:QbWFVCmM9.
>>61
>大切な両親が亡くなって、極楽浄土(天国)で、何の苦も無く過ごせるように

個人の信仰は尊重するけれど、今やそんな話を本気で信じてる人は少ないだろ

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066 2025/03/10(月) 18:44:54 ID:aNoRIIw55Y
>>65
は?
もちろん、そんな場所が実際にあるとは誰も思ってないわ。
それぞれの、心の中に存在するんだわ。
きちんと送る事が出来ればそれで安心出来る、それが宗教だわ。

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067 2025/03/10(月) 18:52:21 ID:GY.gWOFm9.
あのぉ極楽浄土もないし天国もないよ。
だから送るもクソもないよ。
ゆかりのあるものが後に故人を偲べばいいだけ。
そこに形式がないとだめと勝手に思ってるだけ。

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068 2025/03/10(月) 19:08:34 ID:n7k8CSpOtY
大半の人間は死んだ人間のことをどうでもいいと思っているってことだけはよく分かる。
人生の中でかけがえのない人間って日本人同士の中にはそれほど多くないってこともよくわかる。

自分の父親や母親や兄弟や嫁さんや子どもが死んだときに、葬儀費用の見積もりを出させて、一番安いところを更に値切るって
やつが居るのが今の日本人なんだろうなー。
それはそれで拝金教の教徒や信徒なら正しいことだから否定しないけど、なんだかさもしい。

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069 2025/03/10(月) 19:59:42 ID:aNoRIIw55Y
>>67
極楽浄土や天国は、心に描く場所なんだわ。
無いと思ってる人には無縁な場所。

お前の両親の亡き魂は、ごみ処理場の埋め立て残土の中で生きてるんだろ・・・

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