自民 萩生田氏 岩屋外相の中国めぐる外交姿勢に苦言
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003 2025/01/14(火) 00:02:29 ID:x0lhfxFIZg
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1969年一月に就任したニクソン大統領は、キッシンジャー大統領補佐官とともに、泥沼化したベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を真剣に模索し始めた。同時に強大化するソ連の軍事的プレゼンスを前に、冷戦枠組みの再編成が必要と認識するようになり、中ソ対立の亀裂にその糸口を見るようになった。
水面下の交渉を重ね、1971年に重大な転機を迎えた。4月には名古屋での世界卓球選手権大会終了後、アメリカチームを北京に招待、いわゆるピンポン外交を行った。1971年7月、秘密裏にパキスタン経由で北京入りしたキッシンジャーは中国の国務院(内閣)総理周恩来と会談を行い、翌72年の早い時期にニクソン大統領が訪中することで合意した。1971年7月15日にこの計画が米中の当局から突如として世界に流され、世界に衝撃を与えた。まさに「ニクソン・ショック」と呼ばれるほどの衝撃であった。特に日米安保条約によって対中国では日米はパートナーと考えていた日本にとっては裏切られた感は強かった。さらにアメリカと軍事的に強い結びつきを持ち、中国と対立していた台湾にとっても大きな打撃として受け止められた。
それから3ヶ月後の1971年10月には国連で、中華人民共和国を中国代表として国連に迎える「アルバニア案」が賛成多数で通過し、中国の国連代表権問題も一気に解決した。この結果、中華民国政府(台湾)は国連の中国代表権を失い、国際連合から追放された。
https://www.y-history.net/appendix/wh1701-030.htm...
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