陰謀論は世界の「分からなさ」を簡単に理解するための手段のひとつである。
その意味では、人びとの陰謀論に対する需要は今後増加こそすれ、衰えることはないだろう。
グローバル化が進行し、技術が高度化し、社会のシステムが複雑になればなるほど、
世の中がどう動いているのか人びとには捉えにくくなり、自分の専門領域外のことは
何も分からなくなる。
その過程が巻き戻ることはないだろう。
そうであるなら、常に身近にあり続けるだろう陰謀論に、どう対峙すべきか、
ということが問題となる。
自分が陰謀論に嵌まらないために、また拡散源にならないためにはどうすべきなのか。
何よりも、自分を過信しないことが重要だろうと思う。
陰謀論を信じる人々はしばしば、
「マスメディア等の情報を鵜呑みにしてはいけない」
「自分の頭で考えることが大事」
「自分で調べて真実に 辿たど り着いた」
といった趣旨の主張をする。
しかし、個人が処理できる情報量はたかが知れているし、判断能力にも限界がある。
ある事象について、「自分の頭で考える」のにどれだけの知識や材料が必要なのかすら、
見積もることは難しい。
9・11テロにおける世界貿易センタービルの崩壊過程について本当に「自分の頭で考える」
ためには、一編のビデオ映像ではなく、土木工学・建築学の専門知識が最低限必要なはずだが、
陰謀論の主張はしばしば、検証すべき仮定あるいは疑いを、一足飛びに既定の事実と確信して
しまうのである。
一般的なマスメディアや公式発表に疑念を持つのは良いとしても、代わりに動画サイトや
SNSで流れる情報を信じるのであれば、それは依存先が変わっただけだ。
前者に対して恣意的な偏向や捏造、隠蔽などを疑い非難する人々は、後者に対して同じだけの
基準を求めているだろうか。
SNSなどで発信される情報は、決して無色透明な一次情報ではない。
たとえ本人にその意図がなくとも、しばしば一般マスメディア以上に、
発信者のフィルターによって加工されていることに注意すべきだ。
このことは、自分が発信者の立場になった場合も同様だ。
「メディア」というとマスメディアばかり思い浮かぶが、情報の媒介という意味では、
何かを発信した時点で自分自身もメディアである。
情報発信者として、自分がマスメディアに求めるのと同様とまではいかずとも、
事実検証や発信した結果について可能な範囲で責任を負うべきだろう。
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