東京都港区高輪に、天井があまりにも低すぎることで有名な、JRのガード下トンネルがありました。
現在、再開発で大きく様変わりしています。現在はどうなっているのでしょうか。
東京都港区高輪にある、JRをくぐる名物の「天井が低すぎるガード」が、再開発で大きく様変わりしています。
このガードは、正式名称を「高輪橋架道橋下区道」と言います。
JR山手線・京浜東北線やJR東海道線、さらに留置線(車両基地)をくぐっていくため、長さは300m近くありましたが、天井高さは最も低い部分で150cmほどしかありませんでした。
徒歩だと、成人男性は首をかがめて通行する風景も当たり前で「首曲がりトンネル」という異名もありました。また、自動車も天井をこすりそうなギリギリで通過していき、タクシーは屋根の表示灯が天井に当たって壊れてしまうこともあって「提灯(あんどん)殺しのガード」とも呼ばれていました。
この名物ガードが、高輪地区の再開発にともない、見納めになりつつあります。
高輪地区の再開発は、ここにあった広大な留置線を廃止し、巨大な複合高層ビルを建てる計画。
地面を掘り返していく工事になり、どうしてもこのガードは地中から姿を消すことになります。
そこで都は、どうせ撤去するならと、まともに走行できなかったこのガードを、「幅員7mの2車線、高さ4.7m」を確保した、「きちんとした地下道路」として再整備することとなったのです。
この地下道路「第二東西連絡道路」が開通すれば、長らく分断状態だった高輪エリアと芝浦エリアが直結され、
田町や北品川まで大きく迂回する必要が無くなり、地域利用者からは期待の声が上がっています。
最初の変化は2021年。開発区域である敷地西側が着工を迎え、ガードの西半分が閉鎖され、自動車が通行不可となりました。
閉鎖されたあとは「地上の仮歩道」が作られました。泉岳寺駅から旧ガード部に入ると、しばらく両側に仮囲いが並ぶ地上通路を歩いて、
JRの線路まで到達すると、階段で線路を下へおり、そこからは旧来の「首曲がりトンネル」となっていました。
なお、仮歩道からは、掘削時に出土した、最初期の鉄道(新橋~横浜)で使われていた「高輪築堤」の遺構を見ることもできました。
それから3年が経過。2024年6月現在、東側に残っていた「首曲がりトンネル」も、さらにほんの一部を残すのみになっています。
東半分の約120mのうち、旧来の「首曲がりトンネル」が残るのは、西端のわずか30mほどです。
現地では、子どもが「天井高くなったね~」と話していたり、逆に初めて来た人が、
突然低くなった天井に「うわっ何だこの地下道は!」と驚いていたりしました。
https://kuruma-news.jp/post/78539... 東京人しか知らない、てか知らない東京人もいるディープな名所も消える
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