台湾メディアの中時新聞網は19日、日本統治時代の台湾の建築物は日本の建築物よりも素晴らしいとする文章を掲載した。
著者は国立台湾芸術大学教授で歴史作家の頼祥蔚氏。
頼氏は、「(台湾)総統府や検察院など日本統治時代の重要な建築物の多くは、古典的な美しさにあふれており、建築好きの人々を感嘆させている。
しかし、多くの人の認識を覆すかもしれないことがある。
それは、日本統治時代の台湾の建築は、実は同時期の日本の建築よりも多元的で素晴らしかったということだ」と述べた。
その上で、「2011年にある日本の一級建築士が『日本式住宅研究会』の招待を受けて台湾に来た。
その目的は日本の古い家屋を生かすための経験を共有することだったが、台湾を見て回った後、日本統治時代の台湾の建築は日本の建築と多くの違いがあり、
より素晴らしくて多元的であることに彼は気付いた。
日本統治時代の台湾の建築には、純和風、和洋折衷など多くの異なる形式や変化が含まれていたからだ」と論じた。
続けて、「台湾は1895年から日本の統治を受けた。総督府は台湾を平定した後、権威と風格を誇示するため重要な政府の建物を建設する際に特に気を配った。
加えてこの時は西洋建築の教育を受けた専門家たちが次々と台湾にやってきた。それ以降の重要建築物の多くは当時の西洋の様式とある程度の整合性を持った。
もちろん、事情に合わせて革新したところもあった」と説明した。
頼氏は、「多くの人は日本統治時代の建築をバロック様式だと言うがこれは大きな誤解だ。当時西洋で流行していたのは歴史的な様式、
つまり多くの古典的な建築様式が結合したものだった。そこにはもちろんバロック様式も含まれていたが、決してそれだけではなかった」と解説。
「当時の台湾の建築物は、ギリシア式、ロマネスク式、ゴシック式など多くの様式が混合されていた。
1930年代になると戦争の雰囲気がますます色濃くなり、建築様式はシンプルで素朴なものになった」と述べた。
そして、「日本統治時代の台湾の建築が日本よりも多様で素晴らしい理由の一つは、日本の本土では新しい事物が保守勢力などの異論によって影響を受けていたからだ。
だが、台湾などの植民地では総督府の決定権が大きく、さらに、新しい建築教育を受けた若い日本の建築家たちが続々と台湾を訪れてその才能を発揮し、大胆に実験をして学ぶことができた」とし、
「日本統治時代の台湾の建築は気候や材料によって工夫を加え、多くの歴史的な様式を残しているので、日本人の建築家が見て目新しく感じるのも不思議ではない」と論じた。
https://www.recordchina.co.jp/b927209-s25-c30-d0052.htm...
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