負傷し戦争孤児に……ガザ地区の子供たちの痛み【英BBC】


▼ページ最下部
001 2023/12/11(月) 12:08:09 ID:nifkrPVb7U
(画像:3歳のアフメド・シャバトちゃんは、ガザ地区での爆発で両足を失った)

パレスチナ自治区ガザ地区で働く救急隊員が使う、特定の戦争被害者を説明する用語がある。

国境なき医師団に所属するターニャ・ハージ=ハッサン医師はBBCニュースに、「これはガザ地区特有の略語だ。『WCNSF』といって、生き残った家族のいない負傷した子供(wounded child, no surviving family)を指す。使うのは、決して珍しくない」と教えてくれた。

ガザで多くの子供が、いかに恐ろしい状況にあるかを端的に表現する用語だ。子供たちの人生は一瞬で変わる。両親やきょうだい、祖父母が殺され、生活は決して元通りにはならない。

ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスは10月7日にイスラエルを襲撃し、約1200人を殺害、約240人を人質として連れ去った。この襲撃を受け、イスラエルは軍事活動を開始し、戦争が始まった。ハマスが運営するガザ地区の保健省によると9日までに、イスラエルの攻撃でこれまでに1万7700人がガザで死亡した。そのうち7000人以上が子供という。

3歳のアフメド・シャバトちゃんは「WCNSF」と表現される子供の一人だ。負傷し、泣きながらガザ北部のインドネシアン病院に運ばれてきた。アフメドちゃんは11月中旬、ベイト・ハヌーンの自宅が空爆されたが生き延びた。しかし父親と母親、そして兄は殺された。

アフメドちゃんはこの時、奇跡的に軽傷で済んだ。その後、弟のオマルちゃん(2歳)がこの空爆を生き延びたことが分かった。親類の居場所が判明した後、2人は再会を果たした。

アフメドちゃんのおじのイブラヒム・アブ・アムシャさんは、「空爆の後、インドネシアン病院に付き添う大人のいない子供がいると知り、すぐに病院に向かった」と話した。

「アフメドは知らない人といた。その人によると、アフメドは吹き飛ばされ、家から20メートルほど離れたところで、負傷しているのを発見された」

アフメドちゃんとオマルちゃんは孤児となり、家がなく、継続する砲撃から守ってくれるシェルターもない状態だった。そのため、イブラヒムさんが家族と共に面倒を見ることにした。イブラヒムさんは最初、2人と家族をシェイク・ラドワン市に連れていったが、爆発で飛んできたガラスの破片がアフメドちゃんに当たったため、この街も離れたのだという。

イブラヒムさんたちはその後、ヌセイラト難民キャンプに行き、国連が支援する学校に身を寄せた。しかしここでも爆撃を受け、アフメドちゃんは絶望的な状況に置かれた。

「学校の扉から逃げ出すと、アフメドが目の前の校庭にいた。両脚がなくなっていた。アフメドは助けを求めて、腕を広げて私の方へ這ってきた」とイブラヒムさんさんは語った。この爆撃時にアフメドちゃんと一緒にいた家族は殺された。

イブラヒムさんは今も、自分の家族と姉妹の子供たちと共に、家のない状態だ。そうした中で、アフメドちゃんがガザ地区の外で治療を受けられないか夢見ていると話した。

「アフメドは色んなものになりたがっていた。一緒に出掛けてサッカーの試合を見に行った時、有名な選手になりたいと言っていた」と、イブラヒムさんは悲しそうに語った。

返信する

002 2023/12/11(月) 12:10:35 ID:nifkrPVb7U
(画像:2歳のムナ・アルワンちゃんは、ガザ地区北部での空爆で、両親と兄弟、祖父を殺された)

●母親を求めて泣く

アフメドちゃんと同様、ムナ・アルワンちゃんもインドネシアン病院に運ばれてきた時、WCNSFと呼ばれる状態だった。

2歳のムナちゃんはいつも「ママ」と泣いている。しかし、母親は死んでしまった。

ムナちゃんは、ガザ北部ジャバル・アル・ライス地域の出身。近所の家が空爆にあった後、がれきの下から助け出された。両親と兄弟、祖父が殺された。ムナちゃんは目に大けがを負ったほか、あごを骨折していた。

ムナちゃんは別の病院に移送されたが、そこでおばのハナアさんに見つけ出された。

「インターネットを通じて、ムナがナセル病院にいることを知った。そこに行って、ムナだと分かった」とハナアさんは説明した。しかし、ムナちゃんがとても傷ついていると話す。

「ムナはただ叫ぼうとする。いつも怖がっていて、特に誰かが近づこうとすると」

ムナちゃんの姉たちは生き残ったが、ガザ市にいるという。

「姉たちは足止めされていて、南に連れてくる方法がない」とハナアさんは話す。「いつも何ができるのかと自問自答している。どうやって母親の代わりをすればいい?」

返信する

003 2023/12/11(月) 12:14:28 ID:nifkrPVb7U
(画像:ドゥニャ・アブ・メフセンさんはガザ地区南部で行われた攻撃で、片脚と家族を失った)

●「片脚と家族を失った」

南部ハンユニスのナセル病院の片隅で、11歳のドゥニャ・アブ・メフセンさんは鉄製のベッドに座りながら、白い包帯を巻かれた右脚の残りを眺めていた。

長い巻き髪が特徴的で、赤いベルベット素材のようなワンピースを着ているドゥニャさんは、ほとんどいつも黙っている。とても悲しそうに見える。

ドゥニャさんは、ハンユニスのアル・アマルの自宅で寝ている時に空爆を受けた。ドゥニャさん自身ときょうだいのユースフさん、そして妹1人が生き残った。

しかし両親と兄弟姉妹が殺され、ドゥニャさんは右脚を失った。

「お父さんを見た時、血と石に覆われていて怖かった。周りにたくさんの人が立っていて、妹が叫んでいた」と、ドゥニャさんは振り返った。

「自分を見ると片脚がなかった。痛いと感じるようになって、『どうやって脚をなくしたの?』としか考えられなかった」

おばのファドワ・アブ・メフセンさんは、「ドゥニャは病院にいつどうやって到着したのか覚えていないが、病院で独りだったこと、家族を特定しようとした医療スタッフに繰り返し質問されたことは覚えている」と話した。

「ドゥニャは私に、『看護師が、神よお慈悲をと言っていた。それがお母さんとお父さんのことだと分かった』と言っていた」

ドゥニャさんはが外に出て新鮮な空気を吸うためには、今では車椅子が必要だ。ファドワさんはその車椅子が置かれた病室でドゥニャさんの隣に座り、「ドゥニャはけがをするまで、遊び心にあふれて、強くて、とても活発だった」と話した。

ドゥニャさんは、「私は今日、自分の脚と家族を失ったけれど、まだ夢がある」と話した。

「義肢をもらって、旅をして、医者になって、この戦争を終わらせて、子どもたちに平和の中で暮らしてほしい」

国連児童基金(ユニセフ)のリカルド・ピレス広報主任は、「敵対行為の激しさと地上で急激に変わる状況」から、ガザ地区で孤児となった子供の正確な数を決定するのは難しいと話した。

ピレス氏によると、ユニセフはガザの病院や保健職員にはたらきかけ、子どもたちの身元確認と登録を行おうと試みたが、「非常に厳しい状況のため、作業はなかなか進まない」という。

また、シェルターや病院が「無秩序で混雑」しているため、一時的に安全な養育環境を確保するのも「ほとんど不可能」だと指摘。さらに、「子どもを書類で特定し、追跡し、親族と再会させる通常のシステムはほとんど機能していない」と説明した。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis...

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:11 KB 有効レス数:6 削除レス数:0





ニュース速報掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:負傷し戦争孤児に……ガザ地区の子供たちの痛み【英BBC】

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)